智代アフターについてのあれこれ

ゲーム

今回は僕の一番好きな『エロゲ』である智代アフターについて書きます。ですが智代アフターを語るには、まずCLANNADの智代ルートから…ということで、まず少しだけそのお話を。

CLANNAD智代ルートの『異色』さについて

智代ルートは異色です。普通のゲーム、普通のルートであれば、主人公はヒロインと結ばれるために一人で、あるいはヒロインと共に努力し、その結果として幸せを掴みます。しかしCLANNAD智代ルートで朋也が努力するのは智代と出会った後、付き合った後、智代引っ張られた結果です。智代と一緒にいることでやっと努力できる朋也はルート終盤で智代と別れた後、春原と意味のない夜更しを続けすぐにまた自堕落な人間に戻ります。春原が就職活動のために髪を黒く染め直し地元に戻る際に、ようやく自分の立場や認識の甘さ、春原のほうが自分よりも真面目に将来を考えていた事などに気づき、就職活動をして町の小さな廃品回収の業者に就職が決まり、ラストシーンです。他のルートであれば、何かしらします。渚ルートであれば、演劇を成功させる。ことみルートであれば庭を元の姿に戻す。風子ルートであれば結婚式に人を呼ぶ手伝いをするetc…しかし、智代ルートでの朋也は『智代と復縁するための努力』をしません。

アニメでは智代と別れた後にも真面目に授業に出席し、欠伸をしながらも提出物を出す様子が描かれています。これを見て僕は(アニメの朋也、頑張ってるじゃん。智代がいたことの痕跡残ってるじゃん。…智代ルートってこんな話だったっけ?)と思いました。アニメラストシーンで智代は朋也に「ずっと見てた。私がいなくても、お前はちゃんとやっていた 遅刻しないで授業に出て…」と語ります。やはり、違和感がありました。(…こんな話だったっけ?朋也は春原と夜更しして、すぐに元に戻るんじゃないのか?これじゃ朋也もちょっと登ってるじゃん。智代は一番上にいるにも関わらず、良い成績も他人からの評価も要らないと言って朋也の場所まで降りてくるから智代なんじゃないのか?)と考え、この後に智代ルートを再走して確信しました。僕が智代ルートを好きになったきっかけです。『別に朋也が頑張っててもいいじゃん』と思った方いると思いますが、僕には受け入れられませんでした。智代がいなくても頑張れる朋也は、智代ルートの朋也じゃない、と思ったからです。

智代アフターとの邂逅、印象

CLANNAD智代ルートに対する僕の考えは以上にして、話を智代アフターに戻します。僕が一番最初に智代アフターと出会ったのは先輩の家でした。東京へ行った先輩の家に遊びに行った際にパソコンでエロゲを触らせてもらい、その中にあったのが智代アフターです。(なお、その際にArabicaというシナリオ未完成ゲーをもらいました。お勧めはしません)

最初には智代アフターを見たときの印象は(ううむ…これは…どうなんだ?違う…絵が違うじゃん!)という感じでした。原作原理主義過激派の僕には原画の変更は受け入れられませんでした。何人かで遊びに行っていたこともあり自分のパソコンではないこともあり、少しだけプレイしてそのまま焼肉パーティーに突入しました。

2度目の邂逅

それから約半年後、大学に入学し学校近くの小さなエロゲショップで智代アフターを見つけた時には考えも少し変わり『絵は違うけどKeyだし…一応やっておくか…』という感じで購入。この時まだ智代アフターは僕の中で『Keyだからやる』枠のゲームでした。値段は詳しくは覚えていませんが5000円くらいだったと思います。あのエロゲショップ今でもあるか気になり検索してみたのですが…見つかりませんでした。

智代アフター初プレイ

智代アフターを初プレイして(先輩の家のはノーカウントで)感じたことは『タイトル画面からBGM最高』『智代ってこんな声だったのか…イメージぴったりや!』『絵、悪くないじゃん』でした。(この頃にはPS2版クラナドが発売されていましたが、作品の時系列的にはCLANNADにボイスがついたのは、智代アフターより後です)タイトル画面で流れる『hope』そしてゲームをスタートした瞬間に流れる『love song』やっと一人で外回りをさせてもらえるようになった朋也と、それを一緒に喜んでくれる智代、自立した男と彼女、そこには僕が憧れる未来がありました。僕はゲームをするときは主人公になりきってゲームをします。あの時、僕は完全に朋也でした。しかし、この後に人生で受けたことが無いほどの衝撃を受けます。

朋也の死

智代アフターを語る上で避けて通れない道です。朋也が死んでしまうこと、みなさんどう思ったでしょうか。信じられないほどの賛否を生みました。僕は物語の主人公になりきるタイプなので、主人公が死んでしまう作品には凄まじい衝撃を受けます。『デビルマン』『七瀬ふたたび』『えん×むす』等主人公が死んでしまう作品には毎回衝撃を受けています。しかしそれらは『死んでも仕方ない世界』での死で『誰も死なない優しい世界』での出来事ではありません。まして朋也は終盤記憶喪失になり、その時点で僕の感覚としては一度死んでいます。受け入れる受け入れない以前に、何が起こっているのか脳が理解を拒んでいました。正直これに関しては今でもはっきりとした答えを出せずにいて、作品への思い入れの強さで自分を納得させているところがあると思います。

智代アフタークリア後

クリア後は本当に放心状態でした。『朋也の死』が与えた衝撃と『智代アフターが終わってしまった』という喪失感は凄まじく、数か月ほど気分が沈み、何をしても無駄だという考え苛まれ、その後数年間夏になり智代アフターを思い出す度に鬱になりました。本当に凄まじかったです。CLANNADをプレイしたときも感動しましたが、ここまで心を揺さぶられたことはなく、これ以降数々のエロゲをプレイしましたがこれほどの鬱を起こしたゲームはありませんでした。(ONEを当時やっていたらこのレベルの鬱が起きたかもしれません)

僕にとっての智代アフター

希望と絶望と壮絶な鬱で僕を叩きのめしたこの作品ですが、今ではプレイして本当によかったと思っています。辛かった時期に自分の支えになり、今でも前に進む勇気をもらっているからです。智代アフタークリア後の『何をしても無駄』の状態が『精一杯頑張ろう』に変わったのは、OP曲『Light colors』があったからだと思います。僕はこの曲を智代アフター初プレイから聞き続けています。人生で最も多く聞いた曲で、少なくとも1000回以上は聞いています。やゲームそのものよりも好きと言っていいくらい好きです。

智代アフターは『Light colors』とOPムービーに全て集約されています。

Light colorsの歌詞

『明日はもっとうまくやってみせる だからもう一度だけ信じて』

『夕凪が赤く染まるよ 僕らも精一杯燃える生き方を』

OP中に流れる朋也の台詞

『そうすることで、もっといろんなものが、輝き出すと思うんだ』

『当たり前のことを、もっとかけがえなく感じられると思うんだ』

『大切に生きなければと思うようになると思うんだ』

この言葉は辛いときに僕を支えてくれた言葉であり、現在の僕の生き方の指針になるものです。僕にとっての智代アフターは感動や鬱だけではなく『どう生きるか』を決めた作品です。智代アフターをプレイして智代のように真っ直ぐに正直に誠実に生きたいと思った人は、僕だけではないと思います。(実際にそのように生きているかはともかく…)

この文章をここまで読んでくださった方はよほど智代アフターが好きな方だと思います。僕は智代アフターが好きですし、智代アフターを好きな人も好きです。智代アフター好きに悪人なし。まとまりませんが〆とさせていただきます。

それでは。

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